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2023年の春と秋の彼岸|彼岸のお墓参り

2022年 春の彼岸

3月18日 土曜日 ~ 3月24日 金曜日

2022年 秋の彼岸

9月20日 水曜日 ~ 9月26日 火曜日

彼岸とは

「お彼岸」は、「春彼岸」「秋彼岸」の年2回、春分の日と秋分の日の前後3日を合わせた7日間のことです。お彼岸の初日を「彼岸入り」、春分の日と秋分の日を「彼岸の中日」、7日目の最終日を「彼岸明け」と言います。春分の日と秋分の日は国民の祝日です。祝日法により、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」、秋分の日は「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日」と定められています。

また、春分の日と秋分の日は昼と夜の長さがほとんど同じで、太陽が真西の方角に沈みます。仏教の考え方では、西にあの世が存在する場所があるとされています。そのため、春分の日と秋分の日は、あの世と最も距離が近くなる日と考えられました。

彼岸の準備

お彼岸は仏教行事の1つですが、日本特有の行事です。日本では、仏教が広まる前から、お彼岸の時期に祖先や自然に感謝する習慣がありました。日本古来の習慣と仏教の教えが結びつき、お彼岸は大切な行事となりました。お彼岸には、仏壇や墓石を掃除して墓参りをする他、寺との付き合いがある方は「彼岸会(ひがんえ)」と呼ばれる法要に参加します。

墓参りをする際に墓を掃除する道具は、霊園で借りられることもあります。しかし、自分で準備する方が安心です。墓石をたわしやブラシで磨く他、墓石周辺の掃除も忘れずに行ってください。墓周辺の敷地の手入れとしては、雑草を抜いたり、植木がある場合は枝の剪定を行ったりします。虫が付かないよう消毒することも良いでしょう。雑草や枝を入れるためのゴミ袋を事前に用意すると便利です。

寺が開催する彼岸会に参加する場合は、「お布施」を用意する必要があります。お布施に包む金額は3,000円から5,000円程度が相場です。お布施の表書きには「御布施」や「お布施」と書きます。奉書紙を利用し「とう折り」で包む方法が最も丁寧な形式ですが、市販の無地の白い封筒に入れても構いません。お布施を渡す際は、お盆の上に乗せて渡すか、袱紗(ふくさ)を用いて渡しましょう。

彼岸のお供え物

お彼岸は仏教行事の1つですが、日本特有の行事です。日本では、仏教が広まる前から、お彼岸の時期に祖先や自然に感謝する習慣がありました。日本古来の習慣と仏教の教えが結びつき、お彼岸は大切な行事となりました。お彼岸には、仏壇や墓石を掃除して墓参りをする他、寺との付き合いがある方は「彼岸会(ひがんえ)」と呼ばれる法要に参加します。

墓参りをする際に墓を掃除する道具は、霊園で借りられることもあります。しかし、自分で準備する方が安心です。墓石をたわしやブラシで磨く他、墓石周辺の掃除も忘れずに行ってください。墓周辺の敷地の手入れとしては、雑草を抜いたり、植木がある場合は枝の剪定を行ったりします。虫が付かないよう消毒することも良いでしょう。雑草や枝を入れるためのゴミ袋を事前に用意すると便利です。

寺が開催する彼岸会に参加する場合は、「お布施」を用意する必要があります。お布施に包む金額は3,000円から5,000円程度が相場です。お布施の表書きには「御布施」や「お布施」と書きます。奉書紙を利用し「とう折り」で包む方法が最も丁寧な形式ですが、市販の無地の白い封筒に入れても構いません。お布施を渡す際は、お盆の上に乗せて渡すか、袱紗(ふくさ)を用いて渡しましょう。

最後に

お彼岸は、先祖や故人に思いを馳せることができる貴重な機会です。春彼岸も秋彼岸も、基本的な準備は変わりませんが、お供え物や花を季節に合わせる必要があります。年に2回あるお彼岸は、1年の中でも季節が穏やかな時期です。これまであまりお彼岸に参加したことがない方も、ぜひ家族で墓参りに行ってはどうでしょうか

春の彼岸にある行事

東大寺の二月堂修二会お水取り

修二会について

東大寺二月堂の修二会(しゅにえ)は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁僧正(ろうべんそうじょう)の高弟、実忠和尚(じっちゅうかしょう)が創始された。以来、平成24年(2012)には1261回を数える。

修二会の正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」と言う。十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)することを意味する。

修二会が創始された古代では、それは国家や万民のためになされる宗教行事を意味した。天災や疫病や反乱は国家の病気と考えられ、そうした病気を取り除いて、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行事とされた。

東大寺のながい歴史にあって、二度までもその大伽藍の大半が失われてしまった時ですら、修二会だけは「不退の行法」として、1250有余年もの間一度も絶えることなく、連綿と今日に至るまで引き継がれてきたのである。

この法会は、現在では3月1日より2週間にわたって行われているが、もとは旧暦の2月1日から行われていたので、二月に修する法会という意味をこめて「修二会」と呼ばれるようになった。また二月堂の名もこのことに由来している。

行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われる。また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな松明(たいまつ)に火がともされる。このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれるようになった。

12月16日(良弁僧正の命日)の朝、翌年の修二会を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)と呼ばれる11名の僧侶が発表され、明けて2月20日より別火(べっか)と呼ばれる前行が始まり、3月1日からの本行に備える。そして3月1日から14日まで、二七ヶ日夜(二週間)の間、二月堂において修二会の本行が勤められる。

お水取り

二月堂縁起に、 「実忠和尚二七ヶ日夜の行法の間、来臨影向の諸神一万三千七百余座、その名をしるして神名帳を定(さだめ)しに、若狭国(わかさのくに)に遠敷(おにう)明神と云う神います。遠敷河を領して魚を取りて遅参す。神、是をなげきいたみて、其をこたりに、道場のほとりに香水を出して奉るべきよしを、懇(ねんごろに)に和尚にしめし給ひしかば、黒白二の鵜(う)、にはかに岩の中より飛出(とびいで)て、かたはらの樹にゐる。その二の跡より、いみじくたぐひなき甘泉わき出(いで)たり。石をたたみて閼伽井とす」とあり、魚を採っていて二月堂への参集に遅れた若狭の国の遠敷明神が二月堂のほとりに清水を涌き出ださせ観音さまに奉ったという、「お水取り」の由来を伝えている。

「お水取り」は、12日後夜の五体の途中で勤行を中断してはじまる。「お水取り」の行列は灑水器と散杖を携えた咒師が先頭となり、その後に牛玉杖と法螺貝を手にした北二以下五人の練行衆が続く。13日の午前1時過ぎ、南出仕口を出ると咒師童子が抱える咒師松明が行列を先導し、篝火(かがりび)と奏楽の中、堂童子、御幣を捧げ持つ警護役の講社の人たちや、汲んだ水を入れる閼伽桶を運ぶ庄駈士(しょうのくし)も同道して、「お水取り」の行列はしずしずと石段を下り、途中興成神社で祈りを捧げ、閼伽井屋(若狭井)に至る。

「お水取り」の井戸は閼伽井屋という建物の中にあり、当役の者以外は誰も入ることもうかがうことも出来ない。行列が閼伽井屋に到着すると咒師、堂童子等が中に入り水を汲む。これが二荷ずつ、閼伽井屋と二月堂の間を三往復して、お香水が内陣に納められる。「お水取り」が終わると閼伽井屋に下っていた練行衆等は再び行列を組んで二月堂へ戻り、中断していた後夜の「時」が再開される。

お香水

12日の「お水取り」で内陣に運ばれたお香水は、大きな桶の中でしずめられた後、13日の神名帳、大導師の祈りの間に晒の布を用いて濾され、内陣須弥壇下の石敷きに埋め込まれた甕(かめ)の中に納められる。その内一つは「根本香水」を納める甕で、「お水取り」で汲まれた水を毎年追い足ししてたくわえているものをいう。行中にこの根本香水を使用して減った分を補充するので、「お水取り」の歴史の分だけのお香水が渾然一体となったものといえる。

史料には「根本香水之事」として、「この香水はこれ天平勝宝年中、実忠和尚兜率の内院の八功徳水を以って此宝瓶に入、此堂中に納」と記されている。

また、これとは別に「次第香水」といって、その年「お水取り」で汲まれた水を容れる甕がある。次第香水を容れる甕は、残り少なくなったものをすべて汲み出し、更に晒で甕を掃除してその年の新しいお香水を納める。この甕の掃除は11日の日中の後、壇下の掃除の時に行なわれ、甕から汲み出されたお香水の残りは湯屋に下されて参詣者にも分け与えられる。

また、この次第香水は、修二会満行後、毎月18日の二月堂での寺役法要の間にその年の堂司の役のものによって汲み出されるが、量に限りがあるので更にそれを二月堂の湯屋の井戸水で割ったものを小瓶に入れて二月堂受納所で一般に頒布している。

 

 

 

愛華セレモニーホール ACCESS MAP


 

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